蔵書情報
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書誌情報サマリ
資料名 |
マックス・ヴェーバーの新世紀
|
著者名 |
橋本 努/編
|
著者名ヨミ |
ハシモト ツトム |
出版者 |
未来社
|
出版年月 |
2000.11 |
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資料情報
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No. |
所蔵館 |
資料種別 |
配架場所 |
状態 |
帯出区分 |
請求記号 |
資料番号 |
貸出
|
1 |
本館 | 図書一般 | 書庫 | 在庫 | 帯出可 | 361.2/10/ | 0116047408 |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1009810175770 |
書誌種別 |
図書 |
著者名 |
橋本 努/編
|
著者名ヨミ |
ハシモト ツトム |
|
橋本 直人/編 |
|
矢野 善郎/編 |
出版者 |
未来社
|
出版年月 |
2000.11 |
ページ数 |
351,22p |
大きさ |
22cm |
ISBN |
4-624-40050-X |
分類記号(9版) |
361.234 |
分類記号(10版) |
361.234 |
資料名 |
マックス・ヴェーバーの新世紀 |
資料名ヨミ |
マックス ヴェーバー ノ シンセイキ |
副書名 |
変容する日本社会と認識の転回 |
副書名ヨミ |
ヘンヨウ スル ニホン シャカイ ト ニンシキ ノ テンカイ |
内容紹介 |
ヴェーバーは日本の社会科学にとっていかなる存在であったか、また今後ヴェーバーとどのように対峙していくべきかについて議論した99年11月のシンポジウムでの議論をもとに書かれた論文を集める。 |
著者紹介 |
1967年生まれ。北海道大学経済学部所属。専攻は政治哲学・経済思想。 |
(他の紹介)内容紹介 |
日本のヴェーバー研究の到達点と可能性。日本を代表するヴェーバー研究者たちが一堂に会し、ヴィヴィッドな討議を繰りひろげたシンポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」。その成果である本書は、最新のヴェーバー研究の水準と、新世紀にむけて継承すべき課題を明らかにする。 |
(他の紹介)目次 |
1 近代の行方―「グローバル化社会」を問題化する(ヴェーバリアン的問題としてのグローバル化 マックス・ヴェーバーとタルコット・パーソンズ―「資本主義の精神」のとらえ方をめぐって ほか) 2 人間像の変貌―ヴェーバーと「善き生」の理念(文化の普遍史と現代―文化的生の「ドイツ的形式」マックス・ヴェーバー 何故に日本のヴェーバー研究はニーチェ的モーメントを欠落させてきたか ほか) 3 歴史からの眼差し―ヴェーバーの時代を読む(マックス・ウェーバーの「パーリア」論 ウェーバーの大統領制論とワイマル共和国崩壊の憲政史的問題 ほか) 4 テキストとの対話―批判的解釈の地平(『シュタムラー論文』の意義 資本主義の精神における「教育」の契機―日本の『倫理』解釈史からの一考察 ほか) 資料編(ウェーバー的問題の今日的意義―シンポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」に向けて 問いの絶えざる再生のために―シンポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」を終えて ほか) |
(他の紹介)著者紹介 |
橋本 直人 1967年生まれ。神戸大学発達科学部所属、社会思想・社会学史専攻。著書に「ハーバマスを読む」(共著、’95年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 矢野 善郎 1968年生まれ。東京大学文学部所属、社会学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
目次
内容細目
-
1 ヴェーバリアン的問題としてのグローバル化
4-19
-
ヴォルフガング・シュヴェントカー/著 中西 武史/訳
-
2 マックス・ヴェーバーとタルコット・パーソンズ
20-41
-
富永 健一/著
-
3 エスニシティ・ネイションの「政治・国家社会学」としての「経済と社会」
42-58
-
佐久間 孝正/著
-
4 ヴェーバー・テーゼと歴史研究
59-72
-
大西 晴樹/著
-
5 『儒教と道教』再読
73-87
-
長尾 竜一/著
-
6 文化の普遍史と現代
88-103
-
嘉目 克彦/著
-
7 何故に日本のヴェーバー研究はニーチェ的モーメントを欠落させてきたか
104-121
-
山之内 靖/著
-
8 社会科学と主体
122-139
-
橋本 努/著
-
9 ヴェーバー『古代ユダヤ教』と私の研究史
140-156
-
内田 芳明/著
-
10 一九六四年前後
157-163
-
石田 雄/著
-
11 マックス・ウェーバーの「パーリア」論
164-183
-
上山 安敏/著
-
12 ウェーバーの大統領制論とワイマル共和国崩壊の憲政史的問題
184-200
-
雀部 幸隆/著
-
13 政治史と文化史との間
201-216
-
牧野 雅彦/著
-
14 尊敬すべき敵関係
217-233
-
佐野 誠/著
-
15 ウェーバー学の両義性について
234-239
-
浜井 修/著
-
16 『シュタムラー論文』の意義
240-256
-
向井 守/著
-
17 資本主義の精神における<教育>の契機
257-276
-
橋本 直人/著
-
18 方法論的合理主義の可能性
277-295
-
矢野 善郎/著
-
19 「合わない頭をつけたトルソ」から「頭のない五肢体部分」へ
296-313
-
折原 浩/著
-
20 エッセイ「マックス・ヴェーバー研究」
314-321
-
住谷 一彦/著
-
21 ウェーバー的問題の今日的意義
322-326
-
橋本 努/著
-
22 問いの絶えざる再生のために
327-330
-
橋本 直人/著
-
23 日本のヴェーバー研究の今日的課題
331-341
-
矢野 善郎/著
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