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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料種別 |
配架場所 |
状態 |
帯出区分 |
請求記号 |
資料番号 |
貸出
|
1 |
本館 | 図書一般 | 郷土資料室 | 在庫 | 禁帯出 | K317.2/12/98 | 0115412769 |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1009810007707 |
書誌種別 |
図書 |
著者名 |
総務庁群馬行政監察事務所/編
|
著者名ヨミ |
ソウムチヨウ グンマ ギヨウセイ カ |
出版者 |
大蔵省印刷局
|
出版年月 |
1998.1 |
ページ数 |
84p |
大きさ |
21cm |
ISBN |
4-17-164760-6 |
分類記号(9版) |
317.2 |
分類記号(10版) |
317.2 |
資料名 |
行政機関等ガイドブック 群馬県 平成10年版 |
資料名ヨミ |
ギヨウセイ キカントウ ガイドブツク |
巻号 |
群馬県 平成10年版 |
(他の紹介)内容紹介 |
人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、“人間として生きること”を根底から問う哲学的探究。 |
(他の紹介)目次 |
序 責めることと罰すること―自由と責任の哲学へ 1(刑罰は何のために?―“応報”と“抑止” 身体刑の意味は何か?―“追放”の機能 刑罰の意味の多元主義―“祝祭”・“見せもの”・“供犠”・“訓練”) 2(応報のロジック 自由否定論 責任虚構論) 3(それでも人間は自由な選択主体である 責任は虚構ではない―自由と責任の哲学 自由・責任・罰についての指摘) |
(他の紹介)著者紹介 |
山口 尚 1978年生まれ。京都大学総合人間学部卒業。同大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は形而上学、心の哲学、宗教哲学、自由意志について(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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