蔵書情報
この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。
この資料に対する操作
カートに入れる を押すと この資料を 予約する候補として予約カートに追加します。
いますぐ予約する を押すと 認証後この資料をすぐに予約します。
※この書誌は予約できません。
この資料に対する操作
電子書籍を読むを押すと 電子図書館に移動しこの資料の電子書籍を読むことができます。
資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料種別 |
配架場所 |
状態 |
帯出区分 |
請求記号 |
資料番号 |
貸出
|
1 |
本館 | 図書一般 | 郷土資料室 | 在庫 | 禁帯出 | K382/8/45 | 0117899179 |
× |
関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1009917183024 |
書誌種別 |
図書 |
著者名 |
群馬歴史民俗研究会/編
|
出版者 |
群馬歴史民俗研究会
|
出版年月 |
2024.3 |
ページ数 |
106p |
大きさ |
21cm |
分類記号(9版) |
K382 |
分類記号(10版) |
K382 |
資料名 |
群馬歴史民俗 第45号 |
資料名ヨミ |
グンマ レキシ ミンゾク |
巻号 |
第45号 |
(他の紹介)内容紹介 |
幕末最大の謎ともいえる慶喜の大坂城からの遁走とその後のひたすらの恭順は敗退した幕臣側から言えば、まことに釈然としない出来事である。長年の慶喜研究家で「慶喜贔屓」を自称する著者が大正時代の『昔夢会筆記』(慶喜公からの聞き書き)をもとに、そこにいたる慶喜の生い立ちと置かれた環境をあとづけ、慶喜の最後の決断を納得がゆくまでに描いた評伝であり歴史評論書。 |
(他の紹介)目次 |
第1章 水戸斉昭の子(慶喜ははじめての登城で「予は有栖川の孫である」と言ったのか 「家定様のお後は刑部卿か」と言われるようになったのはなぜか ほか) 第2章 将軍後見職(不時登城までして大老を詰問した真意はどこにあったか 安政の大獄で謹慎中慶喜は何をしていたか ほか) 第3章 禁裏御守衛総督(参豫会議で横浜鎖港を説いた慶喜はほんとうに変節したのか 兵力を持たない慶喜がみずから望んで禁裏御守衛総督になったのはなぜか ほか) 第4章 最後の将軍(薩長に「一橋侮るべからず」と言わせた慶喜の幕政改革はどういうものだったか 孝明天皇の死は慶喜にどれだけの打撃を与えたか ほか) |
(他の紹介)著者紹介 |
河合 重子 1927(昭和2)年、東京八王子生まれ。家は四代続いた履物商。府立第四高等女学校(現南多摩高等学校)を経て、戦時下新設された東京女子大学歴史科に学び、一回生として卒業。卒業後は家業に従事するかたわら徳川慶喜研究をつづける。昭和54年「歴史読本」に慶喜の趣味と書物について書いて以後、新聞、雑誌、慶喜展のカタログに慶喜論を発表してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
目次
内容細目
前のページへ